一匹狼大学生クリの日常

俺はこういう人間だ

男は黙ってニーチェを読め 他人の得を許せない奴らを救いたい ニーチェ入門

はい、こんにちは。

またまた吸引力ある記事を見かけました。

 

dot.asahi.com

 

一時期、Twitterのトレンドになっていたので目を通された方もいるのではないでしょうか。

正直僕にはこの心理が理解できませんでしたケド。

読んだ直後は、ホリ〇モンじゃないけど、「テストで点取れないお前が終わってんだよ」っていう感想でした。

 

でも、そのように自己責任論に集約しても埒が明かないよなぁとも思い悩みました。

そんな時に現れたのが彼です。

f:id:kurikkus06:20191030023437j:plain

ニーチェ先輩

近代哲学者の雄ですね。

彼こそが、この弱者が抱く強者への妬み"ルサンチマン"を克服しようと試みた人です。

他にも、キリスト教批判を皮切りに"真理"や"道徳"といったものの否定、それから、近代科学の発展がもたらしたニヒリズムの考察と徹底、そして、新たな価値の創造を我々の世にもたらしました。

つまり、古代から続くこれまでの哲学や思想を根底から覆し、人間の生に対して一つの道を与え、苦悩や虚無といった感情を打開する術を提示してくれた、まさにそのような偉人なんです。

 

今日はそのニーチェの考え、特に"ルサンチマン批判"に焦点を当てて、まとめたいと思います。

ただ本格的な哲学者であるが故に、文章も難解であり、彼の思想を1から10まで伝えることは厳しいので、僕が理解し得たものをかいつまんで説明します。その点ご了承ください。

出典


ニーチェ入門 (ちくま新書)

 

キリスト教とルサンチマン

彼はキリスト教の中心思想にルサンチマンを見いだします。

みなさんご存じの、キリスト教の隣人愛思想「他人を助けよ」という考えは、「他人を思う事は善、自分を思う事は悪」という思考の倒錯へと、さらには、そこから「人間の本質である快楽やエロを求める事は悪、神や他人に尽くす事や苦悩、節制する事は善だ」という自然の摂理に反した禁欲主義思想にたどり着きます。

というのは、もちろん、利他的である事は良き事とされますが、それは自分に余裕が有ればの話であって、人間はまず自分のことを考える事が自然的であるはずだとニーチェは主張します。

そして、このような歪曲した考えは"強者に対する弱者のルサンチマン"から生じるものであって、それがあたかも"絶対者として位置付けられている神"と結びつけられた事によって、誤った正しさが当然視されてしまうという奇妙な結末を辿ってしまったと彼はいいます。

ですから、根本のルサンチマンに問題があると言えますが、そもそも人はなぜこのような思考に至るのかというのは、直面している苦悩や、努力にもかかわらず報われないといったようなこの世の矛盾を打ち消そうという逃避に他なりません。

 

(弱者は)現実の矛盾を直視したくないために 、願望と不満の中で現実を呪詛しこれを心の内で否認することに情熱を燃やす 。こうして彼は、動かしがたい現実を前にして 「敵は悪い 」という価値評価を作り 、さらにまた「汝の敵を愛せよ 」という反転した道徳を生み出す。そしてそれはやがて、どこかに「本当の世界 」があるはずだという 「信仰 」に至りつくことになる 。

 

このように本書では述べられております。

そして、この考えは現代の平等主義、平均化の思想に繋がっており、そこから他人の幸福を妬む心性、他人がより積極的により大きなエロスを味わうことを許したくないという心性が無自覚に表象されてしまうという状況に至っております。

しかし、これらを放っておいては、弱者ベースの世の中になってしまい、人間の虚弱化に繋がるだけであり、個々の人間が持つ課題を逃してしまうとニーチェはいうのです。

 

超人思想

そしてその課題とは、ニーチェは、弱者にとって大事な事は自分より 「よい境遇 」にある人間に対して羨みや妬みを抱くことではなく、より高い人間の生き方をモデルとして、それに憧れつつ生きる事であるといいます。また強者にとって重要なのは 、他人の上にあるということで奢ったり誇ったりする代わりに、自分より弱い人間を励ましつつ、つねに「もっと高い 、もっと人間的なもの 」に近づくように生きる事だと言います。

これはルサンチマンを持たない強者をモデルにして生きよという事ですね。

僕はこれを見てパッと思い浮かべたのはカリスマホストのローランドです。彼は余裕の塊みたいな人ですね。余裕があるからこそ、慈善活動をしたり、さらには、前代未聞の売上を達成したにも関わらず、それに驕り高ぶることなく自分を高める事に専心したりと、我々は彼のような人を目指していかなければならないということなのかなと思いました。

しかし、こんなの口では簡単に言えるけど、実際我々凡人が行うとなると無理だと悲観する人が現れると思います。

ですから、いつまでも上手くいかない現実や過去にしがみつき、それがルサンチマンによって妬みに変わるのでしょう。

しかし、それに打開をもたらしたのが俗に言う永遠回帰思想なのです。

 

永遠回帰思想

これはちょっと僕自身意味不明な考えなので、クレームはニーチェと本の著者にお願いします。

ただ言いたい事は、この世に意味なんてないっすよ。この世界は永遠に反復するから、「俺の生はこんなはずじゃなかった、この野郎。」とかいうルサンチマン抱いたところで無駄だよといったものです。

そこから、だったら人生を批判してネガティブに捉えるんじゃなくて肯定的に捉えたらいいんじゃないですか?といった考えに至ります。

なんか、強引に言いくるめられている感が半端ないですね。

ただ、僕が納得いった箇所としては、もしあなたが人生で喜ばしさや幸せを感じた瞬間が一度でもあるとすれば、あなたはそれがまた訪れて欲しいと思いますよね。しかし、その出来事は今までの過去がそういう流れを辿ってきたから、そのような幸せな場面に遭遇し得たと考えられませんか?という考えです。つまり、そういった幸せな瞬間をもう一度味わいたいと思うなら、過去に生じた苦悩や葛藤も含めて肯定するしかないということです。

つまり、世界はいつか同じことが繰り返される("永遠回帰"する)と仮定したら、別に何のために生きるとか考えても、定められている以上は無駄だから、だったらいかに生きるかが問題なんだということですね。どういう風にあなたはその起こった現象を解釈するか。それがカギであり、真理なんだということです。

理解できるような、けど、なにか胡散臭さを感じてしまうような。。。(笑)

あと、僕の読解力や知識が薄いというのもありますが、結局これは宿命論に通ずるのかなと思いましたね。

 

まとめ

いかがだったでしょうか。ほんと支離滅裂な文章ですみませんでした。

ただ、このブログをいつも読んでくださっている方はお気づきかもしれませんね。

僕が今までのブログで綴ってきたような、「過去は未来の自分が変える」といった信条であったり、"利他的に対するうさんくささ"であったりはニーチェの考えに近いものがあるという事が。

これからは一匹狼大学生クリ改め"令和のニーチェ"と認知していただければと思います。👺

はい、このように驕り高ぶってはダメですよという例です。

 

P.S.

今回はかなり簡潔にニーチェの考えをまとめただけに過ぎないので、興味おありの方は自分でお調べいただくことをお勧めいたします。僕の解釈の偏りがかなり入っているので。

そして、また、この解釈に誤りがあるという場合は遠慮なくご教示くださいm(__)m


ニーチェ入門 (ちくま新書)