一匹狼大学生クリの日常

俺はこういう人間だ

『蜜蜂と遠雷』 恩田陸 を読んだ 直木賞 本屋大賞

今回は恩田陸さんが著作した『蜜蜂と遠雷』の書評です。

 

早速読み終えての率直な感想。

とても感覚的で大袈裟な話に聞こえると思いますが、

この物語を通して、今僕たちがこうやって生きている"世界"、"日常"に対する見方、捉え方、感じ方の新たなメソッドを享受することができました。

 

はい、それが具体的にどういうことかは一先ず置いといて、

 

先にこの本の概要を説明すると、

ご存知の方も多いかもしれませんが、この『蜜蜂と遠雷』はピアノコンクールがテーマの物語でして、

全体の流れとしては、そこに突如現れる類稀なる音楽の才能を持ち、異端な演奏を次々と披露する純粋無垢な謎の少年を起点にして、個々それぞれの重厚な過去の背景や、何らかの内に秘める葛藤や思いを持つ登場人物達が触発され成長を遂げていくという話です。

 

リストの『協奏曲なんちゃらかんちゃら』、ラフマニノフ、ショパンの『なんとかかんとか』等、具体的な曲名・作曲家が次々出てくるし、グリッサンド?とか専門用語も散見されて、読み始めは音楽に疎い低俗な僕なんかが読むのは100年早いなと思いました。

実は話の展開なんかもはっきり言って、ほぼほぼ読者の期待・予想通りに進んでいくようなものであり、裏切りとかそういったものは、まぁなかったです。

 

しかし、読み進めていくと、ページをめくる手は一向に止まらず、あれよあれよという間に読み切っちゃいました。

 

で、それはなぜかというと

各々の登場人物の演奏の描写がハンパないんです。

 

正直、僕は曲名を見てもそれがどういう曲かは全く分かりませんが、それでも、臨場感あふれるといいますか、その曲が描きあげる世界、空間をまざまざと想像でき、そこに自分も入り込んでしまうような感覚を覚えます。

こういった、現実を離れて物語に入り込むことができるという小説の醍醐味はもちろんのこと、それに加えて、

曲が描き出す世界というのは、各々の登場人物のルーツに深く関係する世界だったり、主に自然の描写が多いのですが、それを言葉という媒体だけでこんなにもリアルに表現できるのかという恩田陸さんの文筆力への積み上がっていく期待。

こういった側面が読書の原動力になるというのはあまりない感覚でした。

 

他にも、天才型と凡人型の登場人物の二項対立の構造だったり、

"主人公"という話の確固たる人物はおらず、各登場人物が"主人公"って言えるくらい濃密なストーリーを各々抱えている点も非常に飽きたらず面白い要因でした。

 

 

はい、お待たせしました。

ここで僕が冒頭で言った、この本から日常に対する新たな見方を得たということについての話です。

 

それはこの物語の重要な考えになり、大きなネタバレなのですが、

 

音楽は自然の中に満ちているということです。

具体的に言えば、風の音や雨音、虫や鳥の鳴き声等、日常にごく当たり前にありふれすぎていて、私たちの意識外に置かれている音のことですね。

 

現代は、コンピュータによって編集された人工音を聴いている。

さらに、街を歩けば大勢の人がイヤホンを耳につっこんで曲を聴いている。

そのように音を一挙に閉じ込めて消費するのが現代における音楽と認識されている。

と、この物語では描写されており、テーマとしてそこに懐疑が向けられているんです。

 

僕もこの本を読むまでは、外出時にはしばしばイヤホンをして有吉裕之さんの猥雑ラジオ番組を一人ニヤけ顔で拝聴するという変質者でありましたが、

 

それをやめて、ふと環境音に意識を向けてみると、心が落ち着くといいますか、一種の瞑想状態に入れる事を実感しました。

草木の摩擦音、自転車の滑走音、風が身体を横切っていく音、そして聴覚に止まらず、触覚や嗅覚等、五感が鋭敏になるそんな感覚を覚えました。

自然から音楽を見出すとかは僕にとっては至難の技でしたが、

こういったように、ありふれた日常に意識を向ける事で感じることのできる"非日常"みたいなものを改めて発見する事ができたというだけでも大変大きな収穫でした。

 

僕の感想を聞いただけでは

「コイツ絶対話盛ってるやん、ほんまか」と思う方が多いかも知れません笑

まぁこればっかしは物語を実際読んだ者にしか分からない特別な世界ですから、

半信半疑な人ほど

実際に『蜜蜂と遠雷』をぜひ手にとって確かめていただければと思いますね( ͡° ͜ʖ ͡°)


蜜蜂と遠雷(上) (幻冬舎文庫)


蜜蜂と遠雷(下) (幻冬舎文庫)