一匹狼大学生クリの日常

俺はこういう人間だ

「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義 最近の死に関するニュース KARA 小藪一豊


「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義 完全翻訳版

 

なかなか読みっぷりのある本でした。

"死"というなにか重苦しく、現実味なく、そして、あまり対峙したくないというか、一定の距離を置いていたような事柄であるために、いざ向き合ってみると一から考えることばかりで大変だったっていう率直な感想です。

 

また、この本を読んでいる最中、

人気K-POPアイドルのハラさんが自殺が原因で亡くなってしまったり、

直近では、

死に迫った際に当事者も周囲の人も後悔することのないようどのように死を迎えるかを話し合ったりすることが大切だと喚起したポスターが不適切だということで即座に撤回されたというニュースもありました。

 

www.asahi.com

 

この本を読んでいなければ「死なんて僕には関係ないしな」と素通りしていたであろうこれらの問題に立ち止まって考えることができたのは、良いことでは決してありませんがタイムリーすぎてちょっとした宿命のように感じたりもしました。

 

なので、今回は"「死」とは何か"の本を読んだうえで、死に関しての見解がホットなうちに、この二つのニュースに関して思うことを綴ろうかと思います。

 

まず、元KARAのハラさんの自殺について。

最初に僕の意見を示すと、

ハラさんがどれほど苦しんで、どれほど辛かったかは本人にしか分からないけども、傍から見れば、死ぬという決断を下す必要はなかったんじゃないかって思いますね。

それは"せっかく授かった命を無下にするな"とか"生きたくても生きれない人がいるのに"とかそういうくだらない道徳論ではなくて、

今だ生きていれば、生きる希望や幸福が彼女にはまだまだあったのではないだろうかって思うからです。

KARAとして一世を風靡し、一度トップの景色を見てしまったからこそ、近年の恋人とのトラブルやネットでの誹謗中傷といった心苦しい出来事を突き付けられた時の落差が激しく、私たち一般人が感じえない絶望をせおっていたのだろうなと勝手ながら思います。

 

しかし、彼女にはファンという味方がたくさんいたし、ルックスやカリスマ性等生まれ持った才能があったことも事実であり、他人の僕から見たら、影響力や他人に幸せをもたらすことができるといった点で辛い出来事があったとしてもそれを簡単に凌ぐほどのまだまだ生きる価値ある人生だったんじゃないかなと思います。

まぁ何に生きる価値を見出すかは人それぞれ違うのでこれは僕の一個人の意見にすぎませんが。

 

ただ、存在しない状態に至るよりかは、存在することで享受できた喜びや幸せはまだ若い命である以上些細なことでもきっとあったはずです。

当事者は正常に物事を考えた答えが自殺だったというかもしれませんが、自殺の前提として苦しみや不安で押しつぶされている以上、錯乱状態にいることはまぁ間違いないといっても過言ではないので、死ぬか死なないかの答えを正確に下すことができるためにも、まずは気持ちを落ち着かせてあげられる何かが必要だったなと思います。

 

僕がこの事件から自分の中で考えた事は、

こんなことを念頭に入れて人付き合いするのも馬鹿馬鹿しいですが、お節介とは違うものの、一人一人の本当に大切な人間にしっかりと向き合って、ここぞという時の心の拠り所のような人間になりたいなと思いました。それを具体的に説明したり実行するのは難しいけども。

まぁこの件に関しては他にも、アンチとか、人のゴシップが大好きな暇人に対して言いたいことはたくさんありますが長くなってしまいますので今回は留めます。

 

小藪一豊さんの終末期医療啓発のポスターについて

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これは関西弁が悪い(笑)

関西人の人、東京の人に批判されるの嫌いなんで、関西出身の僕だからこそ好き勝手言わしてもらいますが、やっぱり良くも悪くも関西弁ってお笑い要素がちらつくし、シリアスな感じがでないのかなって思います。

こういう日本では口ごもってしまうような重苦しい問題をポップな感じでバンと出しちゃうと、ふざけんなって批判の対象になるのはおかしくないと思います。

 

けど、結果的にこのように取り上げられてむしろ良かったんじゃないでしょうか。普通にポスター貼るより、人々が死に向き合うきっかけになりましたし。

もしかすると製作者のシナリオ通りだったかもしれないですね。

 

まぁこれも僕の周囲の人間がそのような状況に陥ってなかったり、当事者でないから簡単に言えるんだと捉えられるかもしれないけども、

僕たちは"死"を忌み嫌ったり、考えたくもない話だといって目をそらしていてはいけないと思います。

死は誰にでも間違いなく訪れることは誰もが周知ではあるものの、それを言葉にするのは憚られるし、死の間際に直面している当の本人も、その周りの人もお互いに心配をかけてしまうのではないかという遠慮のし合いで、気づいたときには意思疎通がとれないという状態に陥ってしまうことがよくあるケースなのかなと思います。

"死"を良い悪いの評価ではなくて、フラットに向き合って受け入れられる考え方にシフトしていくべきであるなと思います。

死にゆく人、それを見届ける人がお互いに本音を言い合って最後は両者にとって悔いの残らない形で死を迎えることができるのが理想であるはずです。

僕はこのポスターのおかげで切り出しにくかった話題に少しばかりフランクに切り込むことができるようになったのではと思います。

「あの小藪のポスターじゃないけど、、本当に最期を迎える前にどうしたい?」というような形で。

 

 

今までは"死"=絶対的に悪いもの。口に出すのはデリカシーがないもの。まだ若い自分には関係のないもの。と考えていましたが、

そういう人には特に読んでもらいたい一冊となっています。

そういった偏見を解きほぐしてくれます。

死が悪いと考えられる理由であったり、では逆に"不死"であればいいのか等、

"死"をとことん突き詰めた内容となっております。

自分では考えることが難しい事柄だからこそ読むべき価値は大いにあると言えます。


「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義 完全翻訳版